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ヴァン・ヘイレン2013年6月の来日公演は待望のデイヴィッド・リー・ロスがヴォーカルだ!

80年代のギターヒーローといえば
Van Halen ヴァン・ヘイレンだ!


ご存知だと思うが
ヴァン・ヘイレン(Van Halen)はアメリカのハードロックバンドで
「ジャンプ」や「パナマ」といった大ヒットナンバーがある。

しかも
エレキギターのテクニック「ライトハンド奏法」はヴァンヘイレンが世界に広めたのだ!

結成は1974年。
1978年にデビューとなる。
1stアルバム
『炎の導火線』(原題:Van Halen)は衝撃的だった。
Van Halen バンヘイレン / Van Halen -炎の導火線 【CD】


レコードに針を落とすと、
ドラムが鳴り、そして歪んだエレキギター。
これがかっこよかった!
そして世界初(?)のライトハンドのフレーズが!

当時はこの音を聴いてどうやって弾いているのかが分からず、話題になっていた!
右手を使うなんて!思ってもいなかったのだ。

そんな話題の1stアルバムは全米最高位19位。
瞬く間に150万枚を売り上げ、プラチナディスクを獲得する。現在1000万枚以上を売り上げているのだ!

まさにヴァンヘイレンの代表作なのだ。


ヴァンヘイレンは
エドワード(エディ)とアレックスのヴァン・ヘイレン兄弟が結成したバンドだ。
クラリネット奏者だった父親の影響で、幼い頃からピアノやヴァイオリンなどのクラシック音楽を学んでいたのだ。
その名残としてライブでエディーのピアノを弾く姿を見ることができる。

エディーとアレックス兄弟はロックンロールやポップ・ミュージックに興味を持ち、
アレックスがギター、エディがドラムセットを始める。

しかし、エディがドラムセットの借金返済のために新聞配達をしていた間、
アレックスが勝手に叩いているうちにエディよりも上達してしまい、
お互いの楽器を交換となった。

その後、ヴァン・ヘイレン兄弟はジェネシスというバンドを結成。
兄弟揃ってパサディナシティカレッジに入学すると、バンド名をマンモスとする。

そして対バンド仲間であり校内で人気を争っていたレッド・ボールジェッツから
デイヴィッド(デイヴ)・リー・ロスを引き抜く。
マンモスはPA機材をデイヴから借りていたが、そのレンタル料が惜しくなってメンバーに入れた。。

また、同じ学校の「スネイク」というバンドから、
ヴォーカル兼ベーシストのマイケル・アンソニーを迎え入れ、デイヴの提案によりバンドは名前をヴァン・ヘイレンとしたのだ。

バンドはロサンゼルスやハリウッドなどのクラブでライヴを重ね、
徐々に人気を集めていく。

この頃のレパートリーは、ディープ・パープルやキッス、ZZトップ、エアロスミスなどのカヴァー曲を中心に、オリジナルもやっていた。

1976年、キッスのジーン・シモンズの資金援助を受け、デモテープを作ることになる。
レコード会社は興味を示さなかったが
1977年11月、レギュラー出演していたクラブに、ワーナー・ブラザーズ社長のモー・オースティンと、プロデューサーのテッド・テンプルマンが突然現れバンドに契約書の話をすると、バンドはその場で契約を決めた。



1978年1月、
シングル「ユー・リアリー・ガット・ミー」(キンクスのカヴァー曲)でデビュー。
1978年2月にアルバム『炎の導火線』(原題:Van Halen)をリリース。

1979年4月、セカンド・アルバム『伝説の爆撃機』(原題:Van Halen II)をリリース。

と毎年のようにアルバムが発表される。

1984年1月、6枚目のアルバム『1984』リリース。
これが大ヒット!
ヴァンヘイレンの代表曲「ジャンプ」「パナマ」「ホット・フォー・ティーチャー」が収録されている。
全米最高2位。
【輸入盤】VAN HALEN ヴァン・ヘイレン/1984(CD)


その当時の1位を守っていたのは、
マイケル・ジャクソンの『スリラー』だった。

エディがマイケル・ジャクソンの「今夜はビート・イット」
にギタリストとして参加。
この曲は
ソロがヴァンヘイレン。
バッキングがTOTOのスティーブ・ルカサー
が参加していることで話題になった。
(しかもノーギャラ)

1985年7月頃、デイヴィッド・リー・ロスが脱退。
脱退の原因は
エディがマイケル・ジャクソンの「今夜はビート・イット」
にノーギャラで参加したことにある。
とうわさされている。


後任のヴォーカリストに元モントローズのサミー・ヘイガーを迎える。

1986年3月、7枚目のアルバム『5150』リリース。
ヴァン・ヘイレンサウンドに安定したサミー・ヘイガーの歌がマッチし大ヒットとなった。
[CD]VAN HALEN ヴァン・ヘイレン/5150【輸入盤】


新生ヴァン・ヘイレンは多くの人に受け入れられ、全米最高1位を記録する。
サミー・ヘイガーの新生ヴァンヘイレンでは
4枚アルバムを発表し、どれも好調だった。
しかし

1996年にサミー・ヘイガーの脱退が伝えられる。

同年10月、ベスト・アルバム『グレイテスト・ヒッツ』(原題:Best Of Volume 1)リリース。
このベストアルバム用の新曲はデイヴィッド・リー・ロスがヴォーカルでレコーディングされた。

しかしデイヴィッド・リー・ロスはバンドに戻らず、
3代目ヴォーカリストはエクストリームのゲイリー・シェローンが参加することとなる。
1998年3月、11枚目のアルバム『ヴァン・ヘイレンIII』リリース。 全米最高4位。
世界ツアーも実現したが
1999年、レコーディング中にゲイリー・シェローン脱退。 ヴォーカリスト不在状態となる。

その後、エディの癌、腰の手術などの影響で、バンドは休止状態となっていた。

2004年にサミー・ヘイガーが電撃的に復帰。
6月から全米ツアーを開始し、8月には2枚組ベスト・アルバム『The Best Of Both Worlds』をリリースする。
しかし、サミーとエディの関係は再び悪化して脱退となる。

2006年の「BURRN!」4月号掲載のインタビューで
マイケル・アンソニーの告白によると、バンドは事実上の解散状態にあること。

またマイケルもバンドを解雇されていた。
理由は
2002年に行われたサミー・ヘイガーとデイヴィッド・リー・ロスによるカップリングツアー「SAM & DAVE」にヘイガーのバックバンドのメンバーとして参加したことが理由だ。

2004年11月、新ベーシストとしてエディの息子、ウルフギャング (Wolfgang Van Halen、2006年11月現在15歳) の加入。

そしてついに
待望のデイヴィッド・リー・ロスのヴォーカルでNEWアルバムがリリースされる!
2012年2月、12枚目のアルバム『ア・ディファレント・カインド・オブ・トゥルース – A Different Kind of Truth』だ。

全米ビルボード2位、全米ロックアルバム&ハードロックアルバム1位、全英6位、オリコンチャート3位を記録。
ア・ディファレント・カインド・オブ・トゥルース [ ヴァン・ヘイレン ]



来日公演は
2013年
6月21日 東京ドーム、24日,26日 大阪市中央体育館
となる!

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